東福寺の歴史


東福寺の歴史

 

横浜市港南区にある浄土真宗本願寺派の東福寺は、天禄3年(972年)

天台宗の僧護妙法印という方が比叡山より行基作の「薬師像」を背負い、

当地に来られ「妙法寺一乗寺」を創建いたしました。

 

永歴元年(1160年)7月、10世の僧「明道」のときに、自然災害により

本堂再建が叶わなかったため長寛2年1164年)明道は村民小堂を建て本尊を安置。

 

その後年月を経て、文治5年1189年)に僧密厳という方がここに来られ、

衰退を歎き堂傍に草庵を結んでその尊像を守護いたしました。

 

すると弟子某が次いで住持し深く真宗を拠り所とし、親鸞聖人の法弟となり、

名を「海弁」と改め、浄土真宗に改宗し、それより海弁が当時の開基になりました。

 

また、杉本山の由来である杉本という地名に居住した北見掃部(かもん)は東福寺を中興しました。

その居住地を山号とし、寺名は法名「東福寿元」より東福寺としました。

親鸞聖人が東国布教のとき、当寺に3ヶ月逗留されたため院号を三月院といたしました。

 

慶長の頃第14世海順の代、塔頭憶念寺を建立しましたが、いつの頃か廃絶にさしかかった頃、

同寺の本尊阿弥陀仏如来を本尊とし、古の薬師如来は笹松塚の堂内に移しました。

 

その後、薬師堂が火災になり、再び当寺に復した近くには大正12年9月1日(1923年)の震災で

本堂が倒壊しましたが、仮本堂を第25世海旭が再建しました。

寺院の活動は仏教婦人会・仏教壮年会・法話会と組織が充実しました。

 

平成20年より、28代住職に杉浦海一が着任しました。